09月14日付 日刊スポーツの報道「池田小事件、宅間守死刑囚の死刑を執行」へのコメント:

 ・・・絞首刑の際にヤツが感じた苦しみは、十分に「彼ら」の受けた苦しみに相当するものだろうか?

 いや、一瞬でもヤツが後悔をしただろうか?

 死んで当然のクズとは言え、そのことを考えると、安易に死刑というのはどうなのだろうか?と思った。

 感覚剥奪室に懲役500年、とか、生まれてきたことすら後悔するような刑こそがヤツには相応しかったのではないか、とも。

 そもそもにしてヤツは死こそが望みだったのだから。

 ヤツはいい。死ねば苦しみもない。だが、未来を絶たれた、無邪気に自分の「これから」には無限の可能性があると信じてやまなかった子供達、そしてその子供達を愛していた(る)親達の無念、悲しみは終わることが無い。

 そのことを考えると、一瞬でもヤツが苦しみ、もだえ、後悔をしていたことを願わざるを得ない。

 私は神は信じない主義だが、もしいるのなら神よ、どうかヤツに永劫の苦しみを。

 ヤツには「無」すら生ぬるい。

コメント